任国外旅行から任地へ戻った4/29、どうも学校の様子がおかしい。翌4/30に学校へ行ってみると、昼間から何やら大勢が集まって会議が行われていました。会議には珍しく学校の先生の他、教育局のスタッフ8名が加わり何やら深刻な話し合いの模様。
聞けば、私の隣の家に銃を持ったラスカル(PNGで強盗の意味)が襲撃してきて、争いが発生したとのこと。争いで隣の家の主人が銃を持ったラスカルをボコボコにして重傷を負わせ、そのままラスカルは逃走。銃は手製のもので、殺傷能力があるかどうかは分かりませんが、ラスカルが逃走しているということ、ペイバック(反撃)が無いとも限らず、騒動が住居の目と鼻の先で発生したということもありJICAに連絡。
直ぐに「ホテルへの避難」を指示されました。同時にJICAから校長にも電話があったらしく、ホテルへ行く途中も護衛として私に同行するようにとの連絡が入りました。
ホテルは家から10分ほど。JICAから予約が既に入っていてスムーズにチェックイン。ポポンデッタのホテルは1泊350キナ(約1万円)ですが、とてもそれに見合った設備ではりません。ここは刑務所か!と。食事も高いし・・・。(宿泊代はJICAが持ってくれますが、食事代までは出ないので痛い出費)
▲部屋は湿っぽく、ベッドは小さく汚れていて、ボロい椅子があってもそれに見合うテーブルもない。シャワー、トイレは海の家の方がまともなレベルで泣きそう((+_+))
JICAからは報告書の提出をするように、という指示がありましたので、ホテルで急いで作成、送付。次の日の朝イチに電話があって「今日の夕方便のフライトチケットを送るので首都に退避するように」とのことでした。
任国外旅行から帰って来たばかりなのに、2日後に再び首都に行くとは・・・。状況が分かっていればそのまま首都に滞在していたのに、と言っても仕方ありません。大急ぎで荷物をまとめて空港へ。
1週間なのか、半月なのか。目途が立たないままポポンデッタを後にします。
▲複雑な想いで再びポートモレスビーへ。
到着翌日はJICA事務所に呼ばれて次長、職員、調整員の方々の前で状況報告。
近々、ナショナルスタッフ(現地職員)の方がポポンデッタへ出張に行き、学校関係者や教育局、周辺住民からのヒアリングを行って、それを基に安全が十分確保できると判断されれば帰ることができます。
それと同時に、住居の周りには高さ2mほどのフェンスが張り巡らされることがほぼ決定しました。PNGのことだから工事は何カ月掛かるか不明です。完成までの間は警備会社による夜間警備も付ける予定です。
このように、安全に関してJICAは「石橋を叩いても渡らない」ほどの慎重さで対応してくれていますのでご安心を。もちろん、自分自身の安全は自分で守るものです。駒ヶ根訓練所で勉強した安全対策を振り返って実践していきたいと思います。
▲ドミトリー(隊員連絡所)からの夕日。退避していてもこの景色は飽きることがありません。
ちなみにこのような「首都退避」の状況はとても珍しいという訳ではなく、時々起こることです。ライフラインが不安定で自主的に首都に来る隊員もいれば、同じように安全上の理由でJICAから指示がある場合もあります。
いずれにしても「99%安全でも1%の危険があるならば退避する」ことが、活動の成果を残すよりも大切な、ボランティアの鉄則であると思います。
▲ドミトリーから見える住居の番犬たち。同じ格好で寝てる!(笑)